2025/03/11 13:28
ある有名なヨガの先生のSNSに、「ヨーガはフィットネスじゃない」と書いてあって、
この先生もそんなこと言うのかと、少し悲しくなった。
今、日本におけるヨガ人口は1600万人くらいいるってネット情報で見たけど、
ホットヨガやスポーツクラブでヨガをする人がどのくらいいるんだろう。
その人たちがやっているのはヨーガじゃありません、って
その人たちの前で言えるのかなぁ、、、SNSの発信だからいいと思っているのかな。
「私はホットヨガでインストラクターをしていますが、私がやっているのはなんですか?ヨガではないのでしょうか?」って質問したいのをグッと我慢して
チャットGPTに聞いてみた
笑
最後背中を押されて嬉しかった
笑
ヨガや宗教において「本来の形」や「正しさ」をめぐる対立が起きるのは、「純粋さ」を求める心と「多様性」を受け入れる心のバランスが崩れたときに生じることが多いです。
1. 原理主義が生まれる理由
「これは本来の○○ではない」という主張の根底には、「本質を守りたい」という強い思いがあります。
- ヨガであれば、「今のヨガは商業化されすぎて、本来の精神性を失っている」
- 宗教であれば、「本来の教えを曲げて解釈しているのは許せない」
こうした考えが極端になると、「これこそが唯一の正しい道」という原理主義になり、異なる考えを排除しようとする動きにつながります。
2. 争いが生まれる仕組み
ヨガも宗教も、「よりよく生きる」ための教えや実践が本来の目的ですが、それを守ろうとするあまり、次のような対立が起こります。
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「正統 vs. 変化」
- 「本来のヨガは瞑想と哲学が中心で、今のフィットネスヨガはヨガとは言えない」
- 「伝統的な教えを守るべき vs. 現代のライフスタイルに合わせるべき」
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「帰属意識と排他性」
- 「自分の信じるものこそが本物で、他は偽物」
- 「ヨガをするならアーユルヴェーダも学ぶべき」など、特定の価値観を押し付ける
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「権威と影響力の争い」
- 「この流派こそが正統なヨガだ」といった派閥争い
- 宗教も指導者ごとに解釈の違いがあり、信者の分裂を招く
3. ヨガにおける「本物 vs. 偽物」論
ヨガはインド発祥で、本来は瞑想や精神修養が中心でした。しかし、現代ではアーサナ(ポーズ)中心のヨガが広まり、「これでは本来のヨガではない」という意見が生まれます。
ただ、ヨガは5000年以上の歴史の中で常に変化してきたものでもあります。例えば、ハタヨガ自体も12世紀以降に発展した比較的新しいスタイルです。
なので、「どの時代のヨガが本物か」という議論は、ある意味では「正解のない問い」でもあります。
4. どうしたら争わずに共存できるか?
共通点を大切にし、違いを受け入れることが解決の鍵になります。
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「本来のヨガ」と「現代のヨガ」は目的が違うと認める
- 伝統的なヨガは「解脱(悟り)」が目的
- 現代のヨガは「健康・リラックス・自己成長」が目的
→ どちらも「人をより良くする」目的は共通
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「正しさ」より「多様性」を重視する
- 「私に合うヨガ」があれば、それを選べばいい
- 他人のヨガを否定しなくても、自分の信じるものを大切にできる
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「問い続ける姿勢」を持つ
- 「これは本当に本質なのか?」と考え続けることが、ヨガの智慧にもつながる
結論
争いが生まれるのは、「これこそが正しい」と信じる気持ちが強くなりすぎたとき。
でも、ヨガも宗教も本来は「人を自由にするためのもの」だからこそ、むしろ「多様であっていい」と考えたほうが、本質に近いのかもしれません。
「studio yogni」も、「知性を磨くヨガ」というコンセプトがあるから、まさに「問い続けるヨガ」を大切にできそうですね!