2025/02/18 14:53
『ヨガの中で「信仰」というものをどう扱っていくか』の考察
たくさん学んで、
信仰 vs 科学
という対立を繰り返してきた西洋
良い例がたくさんあるので、そこから考察したいと思います。
日本におけるヨガは、もう日本に合う形で
目的や内容によって、しっかり区別すべきだと考えております。
いつまでもインドを崇めていると、よくないと思うんですよね。
考えてもみてください。
カレーはインドのものだけど、今やジャパニーズカレーはスパイスのこと何一つ知らなくても
スーパーでルーを買えば誰でもカレーが食べられる。
そして、日々の家庭に、とっても役立つメニューになっているではありませんか!!
(私がご飯作れない時、大体カレーを大量の作っておく。超助かってる)
こんなに浸透したのも、インドのカレーじゃないとカレーと呼んではいけませんと、言わなかったからです。
そういう視点で勝手に3つに分類しました。
まず一つ目
ヒンドゥー教「生き方、深い瞑想、秘技」 → カレーで例えると インドのカレーそのもの
→殺生しないなど含め、ヴェーダの文化に則って生きる人だけ先生になれるし
それを受け入れて生きていこうとする人が習えるもの
宗教としてのヨガ
インドに修行に行って触れるヨーガ
知識のヨガ、など
そして2つ目
アーサナを中心とした、思想であり、ホリスティックなボディワーク、軽い瞑想 → カレーで例えると日常の ジャパニーズカレー
→内側から自己の変容、ストレスマネジメント、要は、アメリカがRYTという資格化して世界に広まった部分
思想は個人の自由
(仏教でも、神道でも、ネイティブアメリカンのものでも、科学でも、バシャール、ハッピーちゃん、量子力学とか)
そして3つ目
エンタメヨガ、スポーツジムのヨガ、ホットヨガ → カレーで例えると外食で食べるちょっと素敵なカレー
→外側を満たす、健康維持、地域貢献、ビジネス
私は、現代において、この3つを区別をしないと、なんか気持ち悪く感じる。
全部が「ヨガ」って一括りにされて、なんか一人一人に失礼な気がするのは私だけ??
「グルと弟子」で成り立つものだったヒンドゥー教の伝統を、
資格制度としてアメリカがRYTを作ったことにより
「インストラクターと生徒さん」の間で成り立つような習い事になったこと
考えれば考えるほど、これを体系化したアメリカさん。すごい。
しっかり区別しないと、無駄な対立を生むと思うなぁ。
⚪︎⚪︎じゃないとヨガじゃないよねってマウントとってる人、ほんと後を絶たない。
こんなことを話せる、インストラクターを職にする人と
あーだこーだ喋りたい。
迂闊に話すと、怒る人いっぱいいそう。