2025/01/24 10:40
今年に入って、ヨガ哲学ではない哲学に興味が湧いてきてて、サラッと解説してくれているポッドキャスト発見したので楽しく聴いております。
いやーーーーーーー感動。
この感動をどう表していいのやら。
何が感動かって。
この10年「思想」「信仰」というものを扱ってるってことを中心におきながら社会と関わってきて、そこでの葛藤、私の頭の中で起きていた分断や迷い、
ほぼ同じ、ルートで、西洋哲学の何千年の歴史の中に繰り広げられていたではありませんか。
これが本当に激アツポイントでした。
これには本当に驚いた。
ゆっくり動くし私でもできるかなーと、ストレス発散と、ダイエットのためにヨガを始め、
これはすごい!とハマり、資格を取ってみんなに伝えよう!と言うところまでは良かったのに
学び出すと、まさかこんな深い思想があるなんて、と圧倒され
途中「なんだよぉー、ドア開いてるから入ったのに、奥に迷宮が待っているじゃないか感」が半端なく
仕事にしてしまっているのに迷宮から出られなくなってる場合じゃないだろ!と喝を入れ
どんどんどんどん沼にハマること、早10年。
ちょっと他も見てみよう、と気持ちを切り替え
西洋哲学に改めて触れたことで、精神世界のことを学ぶってことは、こういう葛藤を経ることなのかと、妙に安心というか、納得した。
めっちゃざっくり私の解釈を解説すると
まず前提として
西洋哲学は、キリスト教をはじめとする、「宗教」と「理性」の闘いである
に対して、
ヨガのもとになっているインド哲学は「宗教」と「理性」を切り離さずに発展してきたもの
なのに、現代のヨガは
アメリカが作ったRYTという資格によって現代人に学びやすくなり、半分「宗教」と切り離したことで発展して、今に至る
そりゃ「ヨガとは論争」起きるよね。
西洋の哲学の歴史、辿るよね。
キリスト教の神の教えと、アリストテレスの自然科学、科学の進歩
統合を夢見た人もいれば
より分断させる方向に尽力した人もいたり
権力のために利用されり
同時に社会の変化
産業革命、人権の自由化、、
情報化による民衆の知的レベルの変化
意識のアップデート(もしくはダウングレード)
いろんなのがごちゃ混ぜになって現代の価値観、支配構造が出来上がっている。
私的には、ヨガをきっかけに社会への視点が少しずつ深くなったことは嬉しいけど
同時に、今ヨガ講師が量産されていることに、恐怖を感じ始めました。
「自分がわからなくなっちゃったんですー」と言う資格をとってインストラクターになって数年の先生が周りに何人かいるけど、
そりゃそうだろうなぁと、10年悩んだ私には、気休めすら言えず、気が重くなる。
なので、宗教的な部分をどう扱ってヨガを仕事にするのかは、よりしっかり考えておきたいポイントになってます。
もし、この対話の場をもうけたとしたら、
「そんなふうに争うのってなんか違うよね」と、
非暴力というヨガ哲学を持ち出してくる人たくさんいそう。
けど、それってなんか違くない?って思ってしまう。臭いものにフタでしかない気がする。
問題提起しっぱなしも嫌なので
私なりに考えられる道は2つ。
①個人主義を目指していく
私は私、とアイデンティティを確固たるものにする。
比べない、私らしく周りを気にせず、自分を生きる
②調和のための自立
多様な思想を深く学べば学ぶことで、色濃くなっていく「自分の思想」
同時に、自分とは異なる思想に理解も生まれている状態
①は西洋的に感じるし、②は東洋的に感じる。
どんなことになっていくのでしょうかねぇ、、、
これは、富山における信仰
天神様の掛け軸を1月の終わりまでかけてました。