2025/01/21 16:05

私はヨガのレッスンをするときの話しというかトークが、本当に苦手。
年数を重ねれば上手になるかと思ってたら、ぜんぜん違って
どんどん苦手になってます。

人との対話も、話が盛り上がることもあれば、根本的にどっかでチグハグすることってよくあって
対話であれば、認識の違いを話し合うことができるけど、
一方的に話すと、生徒さんのモヤモヤポイントを刺激したまま進めてないかな、
とか、傷つけてないかな、と、不安になるからだと思う。

長い間、日本は無宗教だと思っていたし、信仰心とか、そういうのも時代遅れなことで
今は、「みんな好きに生きよう!」「未来に向かって突き進もう!」って
社会全体が、自由主義であり、成長が当たり前の資本主義であり、
その中でそれぞれ死ぬまで、がんばって生きるものだと思い込んでいた。

その価値観のまま、ヨガしてがんばろー!!ヨガって楽しいよねー!!成長してこー!!ってノリでいけば、
いい感じで、スラスラペラペラと話せたと思う。

ヨガの思想を学んだことで、他の思想的なことや哲学的なことにも興味が湧き、
歴史、世界の構造、日本との違い、いろんなことを知れば知るほど
それまで信じていた現代社会における当たり前のことが、
いかに「苦しみ製造思想」なのかを知ることとなりました。
(⚪︎⚪︎すぎると、ってことですよ)

好きに生きるのが最善 → 好きに生きることはエゴを肥大させる、毒になる
未来に向かって突き進む → 今我慢して、未来のために頑張り続ける → 結果、ずっと苦しい

という具合に。

でも、美しくなりたいとか、健康になりたい、と言う動機でヨガを取り入れてる人もいるわけで、
せっかくお金払って時間を使って、ヨガでいっちょ頑張ろう!って思ってる人の、モチベーションを下げるようなこと言うのは嫌。

かといって、「美しくなるためにヨガしましょう!」「ヨガすると痩せまっせ!」みたいなことを言うのも憚られる。

(ちなみに、自分がヨガを始めた時まさにそうだったし、それが今につながっているからヨガを始めるきっかけは、なんでもOKと思ってる。)

進んでいく先に、「今度はヴェーダこそがヨガ」とか「伝統的なインドのヨガじゃないとヨガじゃない」みたいな考えが入ってきたりすると、違った意味で悩みだすのは、ヨガインストラクター業界あるある。
ヨガじゃなくてヨーガです、と言われて、急にヨーガと表記しだす、とかね。

(ちなみにここも、自分が通ってきた道。無駄にはなってないと断言します)

何を言いたいかというと、
何を信じているかで、目の前の現象の意味が変わってくる、という話をしたいのです。

無宗教で、無信仰な日本人というのは大嘘で。
みんな何かを信じているし、何か信念を持って生きている。

子育ての仕方ひとつとっても、自分を育てた親とでさえ真逆だったりする。
ワクチン推奨派は、ワクチン打ってない人のこと批判するし、逆も然り。

資本主義から脱しようとしている友人もたくさんいて、
資本主義が当たり前側の友人から見ると「あの人たちは宗教でもやっているの?」って聞かれる。


戦争のニュースで、⚪︎⚪︎原理主義者ってよく聞くけど、対立構造の始まりって、
こんなふうに、信じている世界とは全然違う世界があることへの、ネガティブな反応
小さなモヤモヤだったんじゃないかなぁって感じてしまう。詳しいことはよう知らんけど。

このネガティブな反応は、自動的に起きるシステムになってしまってるので、ポジティブに捉えよう!ったって、すぐにできるものではないこともわかった。


私はなにを信じているんだろう。

ヨガ哲学は学ぶけど、ヒンドゥー教は信仰していない。はっきり言える。
真我はあると思っているから、仏教徒にはなれないだろう。仏教の思想もけっこう取り入れてるけど。

真我を「魂」と置き換えたり、「愛」と置き換えたりすると、いろいろしっくりくるなぁ。
なんだかんだ、日本の神道的な思想に近いのかなぁ。
わからない。


まぁとりあえず。
眉間に皺を寄せながらではなく、微笑みながら日々ヨガをやっていけば、
いつか分かるでしょう、とは、思ってます。

平日の朝、みんなを送り出した後、家事を終えてコーヒーを淹れるときに撮った一番ご機嫌な波動で撮った写真w
正月に買った花がまだ綺麗に咲いてる。