2025/01/02 18:11

新年明けましておめでとうございます。


インドア派の我が家は、大晦日の夜、みんなで紅白見ながらゲームをしたりがお気に入り。
元日の朝はゆっくり起きて、雑煮を食べながら新年の豊富を発表し、少し休んでから氏神様にお参りに行く。

毎年、地味な年明け。
だけど、この地味な家族の時間が、ほんとにありがたい時間だなぁと、年々とても身に沁みるようになってきていて
これは歳をとった証かもしれないなぁ。


そのまま、夫の実家へ新年の挨拶を兼ねた会食。
去年は、それを終え、ちょうど家に戻って玄関に入った時に地震が起きた。

あの一瞬で、隣の県ではたくさんの命が奪われ、家族を失った人がたくさんいる。

今年の正月、テレビではそんな人々の1年を特集していて、義母と見ていた。
気持ちが込み上げて泣きそうになった時、義母を見ると義母も泣きそうになっていて、
そんなふうに気持ちを共有できる人が近くにいることに安堵の気持ち。
それだけで心の温度は上がる。

去年と変わらず暖かい場所で大切な人と集い、温かい料理を食べ、お腹いっぱいになっている自分に目を向けると、
申し訳ない気持ちになったり、何もできないもどかしさ、複雑な気持ち。
喪に服している時に、浮かれてしまっているような気持ちになる。

でも、いくら私が、罪悪感や無力感を抱えたところで、物事は何も変わらない。

去年は、そんな気持ちの中、奮起して頑張っていた仕事の中で、畳み掛けるようにゴタゴタが起き、人が怖くなった。
もう頑張れないかもしれない、、と本気で思った。

精一杯、今日を生きること。
これができなくなっていた1年。
これをすることが、どれだけ勇気のいることかを知りました。
シンプルに生活を丁寧に生きてみて、少し気力が戻ってきたのが秋くらいかなぁ。

精一杯生きる日がもう一日与えられているとは、なんと幸いなことだろう
by アントニー・デ・メーロ

この言葉に、わずかな共感を感じられるようになっている2025年正月。
おみくじは大吉でした。