2024/05/25 16:56
いやーーー長くなった。
こんなに書くつもりなかったのに。
さてさて。
震災の後、いろんなことに対しての迷いや不安。
そんなことの中で始まった、マインドフルネス瞑想講座。
言われるがままに、とにかく毎日マインドフルネス瞑想を実践した。
とにかく、毎日10分。
今回習ったマインドフルネス瞑想は、目をあけて行います。
(いろんなマインドフルネスやってきたけど、目を開けて行うのは初めてだった。
現実を認識したまま行う、坐禅の半眼と同じ理屈だろうなと思います)
やってみたらわかるけど、目を開けてただ座る10分て、めっちゃ長い。
そして、やってみたらわかるけど、呼吸をただ見るって、本当にむずかしい。
「見る」ではなく「観る」と書いたほうがいいのかな。
とにかく、良い呼吸をしよう、とか深い呼吸を作ろうといった、コントロールはいっさいせず
ただその時の、静かな息に、「寄り添う」というか「観察する」
目を閉じて行う瞑想は、それまで何年もよくやってたし、リラクゼーション効果が、抜群です。
それと比べてマインドフルネス瞑想、、、
すごく退屈って感じた。笑
ヨガを日常からやっている私にとっては、呼吸をコントロールしない、というのが、これまたむずかしい。苦笑
退屈で、難しいもの。それを毎日やるって、どんな苦行だ、、、
そう思いながらも、いつものように決まった時間に、決まった場所に座り、
自分の呼吸を観察しながら、退屈さと向き合っていた。
ある日。
これが退屈だと感じるということは、
自分と過ごすことを退屈だと言っていることと同じなんじゃないかと、急に思い始めた。
自分のことをつまらない存在だと思っていたのかな。
自分の中にくつろぐことがヨガだ!!と、熱烈に発信してきたのに。
私は、自分のことをつまらない存在だと、無意識では思ってた、ということ?!
その気づきから、「自分といる」ことのために、マインドフルネス瞑想を練習し始めた。
毎日10分だけ、自分といてみる。
外側の変化によって、自分の気持ちが大きく揺さぶられている日なんかは、
今日は、静かに呼吸に寄り添っている場合ではない!!って感じるんだけど
でも、そんな日でも、毎日やった。
苦しい感情、不安な感情、ハッピーな感情すらも。
どんな感情に揺れ動かされた一日も、夜、座る時、戻るところはいつも一緒。
戻ったところにいる自分は、どんな時も、変わらない自分がいる。
それは、とても静かで穏やかで、満たされている感じ。
この感覚を得たことが、自分にとって、とてもとても
大きな気づきでした。
まだ続くのか、、、!?