2022/05/20 10:51

久々のblog更新が、まさかの愚痴からスタートという。

息子が団体競技を始め、保護者の輪の中に馴染めず、モヤモヤが溜まっていく日々。


誘われたしやってみようかな、

から、

やってみたら、すごい褒められたし楽しい!

みたいな軽いノリの息子。


体力つけばいいな、とか運動不足解消できるな、というくらいの軽い気持ちの私。


入部してから保護者のライングループに誘われ、そこに衝撃の事実を知ることに。


練習がある日が週2かと思ってたらまさかの週4。

しかも土日は朝と夜の二回練習。


あれ、、、、

聞いてない、、、土日仕事が多いのに送迎できんのかな、、、という不安。


息子も、途中イヤイヤ言い出し、二人揃ってヤル気温度がマックスに下がったところで

さらに追い討ちをかけるように、他の保護者さん達の想いの熱さを知ることになる。



「相対的にみるとドライな保護者」と位置付けられるような私みたいな保護者を

ドライなまま放っておける体制にもなっておらず。

関わり具合を選ぶことができない。


みんなが、勝つために、成長させるために、子供に経験させたいから、

そんなことのために親が頑張るのは当然。

チームのために親もチームとなって頑張るべき

という空気感に違和感の日々。


練習ヤダ、とブーブー文句を言いながらも。

息子は徐々にその競技が楽しくなってきているし。

チームの仲間とも楽しくやっているようだし。

まぁ、それならそれで私もやれることはやってみようかな。

というところで、私と息子は落ち着いた。




けれども、変なモヤモヤはずっと晴れず、、、


私自身のヨガのレッスンの時に、そんな話を生徒さんたちとしていたら、共感してくれる人の多いこと多いこと。

経験者の方や、まさに今お子さんが団体競技をしていて、関わり具合に困っている、とか。


まぁ、でも知っている。

私が、同じような考えの人と話して安心してるのと、他の保護者さんたちがみんなで団結しているのは、

かけ離れているようで、実は大して変わりないということを。


そう、言いたいのは愚痴ではなく(、、、え?笑)



違った意見や温度差、価値観。

押し付けちゃいけないでしょ!ってことなのだ。


これだけ個性を尊重する時代、話し合う、とか、認め合うとか。

個人レベルでやっていきたいなぁと常日頃から感じるのです。


今回のモヤモヤは多分、ヨガを勉強する中で、

母だから、女だから、○○だからといった

個人個人の役割を、できるだけ脱ぎ捨てて

日頃から『自分とは何か』というところに意識が向きがちになっている私の

社会との折り合いの悪さが招いた出来事であると思う。



あぁ、そういえば今年、母の日ってことも忘れてたなぁ。


数年前までは、母にも義母にもお花とプレゼント渡していたんだけど。

(母の日じゃない時に思いついた時に、あげたいものがあったらプレゼントしたりとかは逆にする)


いい母親にならないと、とも思わなければ、

子どもたちを、一人でなんとかしないと!なんて気持ちも、もう数年前に手放してしまったものだから

自分のことも、そこまで母だと思ってない。(!)


でも、子供に対しての愛情は、とても深いと思う。


周りに流されて「母親らしさ」を演じるのはやめよう、ということを決めてる、と言えばいいのか。



娘が赤ちゃんだった頃

私も慣れてなくて神経質になってたのと

なかなか寝ない子だったのと

いろんなことが重なって


精神的に参ってしまった。


睡眠が満足にとれず、食事も隙を見て流し込み、トイレの時間さえもゆっくり取れない。


「お母さんなんだから」

「みんなやってることなんだから」


子供を育てるのは喜び、尊いことで、今は自分のこと優先にしては行けない。


そんな前提のもと、立派に育てないといけないというプレッシャー。


食べたもので身体はつくられるからね!

赤ちゃんの頃の食生活がその子の一生を決めるのよ、と言われながら、


あ、、もう、なんだか、限界、、ってなった。

私にはキャパオーバーかもしれない。って、認めた時に、


もしかして頑張りすぎてるかも、って思えた。


そうすることで一瞬余裕が生まれ、


その時に感じたのが、

何もできなくても、私の体が今ここに存在してる、

ということ。

それだけで子供にとっては、とてつもなく大きな安心になっているんじゃないか。


お母さんを呼ぶと、振り返って目線が合う。

それだけで、それが生きる力に変わっているんじゃないか。


その二人で創り出した、生きる力が、その子の人生を創るし私の人生にもなっていく。

その子の人生を創るのは私じゃない。



なんか、そんなような気持ちになった気がする。



生まれたての我が子を最初に抱っこしたとき、

奥のほうから生きる力が湧いてきた気がした。はじめて心から大切と思える存在に触れた気がした。


多分それは、お互い様なんだ。


そんなふうに思えるようになってからは

驚くほど子育てが楽しくなったし、


子供に対しての態度が変わったと思う。


怒ってる時もあるし、上の空になる時もある。

突拍子のない「お母さんどうしちゃったんだ、、、」と心配される変なテンションの時もあるし。どれも隠さない。


一人の人として接しだしたということです。


お母さんらしさを、極力無くす、というか。


たまに、「なんでそんなに偉そうな口調になるの??」っていう親御さん見るけど、

子供を所有物だと思ってるんだろうなーって思う。


そして、自分にも親という役割をしっかりのせて、普段すごい頑張っちゃってるんだろうなーって思う。


それも、その親子の学びだし、やめた方がいいよなんて全く思わない。


ただ。

それを当然と思ってる部分を、ちょっと緩めたいなぁなんて考えてしまう。


多様性を認めよう、とか、持続可能な世の中にしようってスローガンの出てくる今の時代。


「みんながしてるから」という安心は、時にそうじゃない人を

とても息苦しくさせてるということも頭の片隅に残しておかねば。


やめますって言った時、チームの人数が少ないのもあって引き止められてまだ続けているんだけど、

どうしたらいいのか、、、

体制を見直してくださいというほどの力をかける気力もない

モチベーションの低い親である私は、どうしていったらいいのでしょうか。


声を上げる気もないということは、愚痴で終わる話か、、、


あーー長くなった

でもスッキリ。笑





母に、母の日忘れててごめんね、とラインしたら

みんなが元気で過ごしてくれるのが、いちばんのプレゼントですって返事が来た。