2021/07/17 01:30

最近勉強しているNVC(ノンバイオレンスコミュニケーション)

非暴力コミュニケーションです。
私にとっては、本当に出会えてよかったと思えるツール。

ヨガの哲学にも、まず最初に非暴力(アヒンサー)が出てきます。

ヨガとのと相性がいいということで、
最近は、ヨガの資格の一つRYT200の中にも入ってきたりもしてるって聞いた。



自分の感情がよくわからなかったのです、私。
自分を大切にする、とか自分を愛せばいいんだよ、という言葉も
さっぱりわからなかった。

「自分とのつながりかた」

何を聞いても、誰のアドバイスでも全然わからなかったのに、

NVCのメソッドの触りの部分だけで、

あ!もしかして、こういうことかも!みたいな
なんとなく掴めたような感覚がやってきて。

今までは
嫌な感情が起きると直視するのが辛いから、
どこか違うところに原因だったり責任を転換するってことが無意識におこっていたけど、

どんな感情の裏側にも、自分が大切にしたいことが隠れているんだと思うと、
直視するのが、少しつらくなくなる感じ。

出来事から湧き起こる感情の動きを
まずは自分で「観察する」という行動に結びつけるために、NVCはシンプルだけど絶大な方法を教えてくれました。
すぐできるものから日々のプラクティスまで。

今は、観察して、感情を直視して、その裏にある大切なものを探す。

直視した感情に名前をつけるという練習が、今私の中ではブームです。
先生はそれを、感情のアーティストになる、という言い方をしてた。

毎日、いろんなことが移り変わっていくし、
ハァ、、、と落ち込む出来事も最近多いんだけど

なんとか自分と仲良く頑張っていきたいものです。



今日聞いた話。
コロナで若い女性の自殺率が増えている、というニュースの話。

私も思春期の頃、ぐちゃぐちゃした悩みとか、行き場のない感覚とかすごく感じて、
自暴自棄になったり、ギリギリ自分を保っていた時があったけど、
命を絶つとこまではいかなかった。

その子たちがきっと、自分ではどうしようもない痛みの中でそれを選んだんだろうと思うと
胸が引き裂かれる思いです。
と同時に、
その手前の状態。
苦しんでいる子がどれだけいるんだろう、と思うと、、

どうしたらいいんだろう、、、


心の痛みを抱えてきた側からすると、
それを表に出すって本当に辛いし、絶対に人に知られたくないと思っていた。

それは、そんなこと誰も受け入れられないなだろう、って思うから。

受け入れられないどころか、
バカにされる、嫌がられる、
あの人暗い、とか、重いとか、そう言われるだろうって。

大人になってからも、やっぱりそういうところを小馬鹿にする人って本当に多いと思う。

筋肉の強さ、皮膚の強さ、人それぞれ違うように、心も強い弱いがあって当然だし。
みんなが同じじゃないんだ、って声を大にして言いたい。

自分の弱さに対峙するプロセスを、いずれ人にも伝えられるように、と思って
ヨガの学びに照らし合わせて取り組んでいるのですが、
心、意識、思考のプロフェッショナルなはずの、権威あるヨガの先生でさえも
すごくキツイ言い方してくるなぁと思う先生が何人かいた。

その中でも、ジャッジしない、否定したり、おだてたり褒めたり、ということもない人に出会ったとき、
愛そのものだなぁと感動したりする。



今、私が。
こんなんだったら出せるだろうなーと思う環境

心の闇に理解がある、とか受け入れ態勢がある
ただ、聞いてくれる
アドバイスしない
励まさない
喝を入れない

ティクナットハンの言葉
Darlig、I‘m here for  you

一番のギフトは、ただそこにあり続けること。

実践するのは大変だろうけど、
まさにそれだと思う。


何か言ってあげなきゃ、とか
いいこと言わなきゃ、とか

それが得策と思いがちだけど、、、

そうじゃない在り方もあるんだと知った今、
そして、それにはプラクティスが必要なんだと知った今、
今私にできることは、それをできるだけ多くの人に触れられる機会をつくること。かなぁ。