2020/06/12 05:31

先日友人一家と、粟巣野という、スキー場の麓にある地に行ってきました。


これは、粟巣野にある、百間滑という場所。

龍神の滝、下流200mにわたって岩肌が美しく、夏の夕立の後、龍がこの急流で遊ぶと言われています。


ここを愛する友人が、ぜひ私にここを味わって欲しい!と言ってくれて、
車を走らせ行ってきました。

自宅から車で1時間足らずでこんな場所があるなんて、なんて豊かなのでしょう。
山まで1時間、海まで30分です。


ここは、今は市町村合併により、住所は富山市ですが、
私が育った、立山町からすぐ近く。

そう、私が育った場所は
けっこう田舎なんです。

うちの近所は、「少年時代」という映画のロケ地にも使われたことがあったんじゃなかったかな。

今はないけど、育った家も古く、リアルトトロの家でした。



小さい頃は、敷地内をチョロチョロ流れる小さな川でおままごとをしたり、

周り中、木に囲まれてい日の当たらない裏庭の、鯉のいる池の辺りで、

ひんやりとした空気を感じながら、まるで異空間に迷い込んだかのような錯覚を楽しんでいました。


高校は比較的、海に近い高校に入学し、
電車を乗り継ぎ、富山の主要駅である富山駅を経由し、長時間かけての通学。

地方鉄道は運賃がすごく高いので、親が払ってくれているとはいえ、定期代の高さに驚きます。


不真面目だった私は、部活にも入らず放課後は遊び呆けていたのですが、そうしていると、


家が遠いので早く帰らないといけないことが、

どんどん嫌だなぁという気になってきて、

社会人になっても、飲み会ごとにかかる、代行代が他の人よりも高く、

なんか損だなぁと思っていました。

時間的にも金銭的にも便利なことを求めていました。

もちろん、そこで得た刺激や楽しさ、そこで身につけた社会性によって、いろんな人と会えたり世界も広がりました。


でも、人の中での生活は、常に周りの評価や機嫌に感覚を張り巡らせてしまうので(元々の性格もありますが)

内側で自分が何を欲しているのか、
何を感じているのかが、どんどん麻痺してきます。

そんな中でも、バランスをとってこられたのも、

根本に自然に触れていたという経験が、私の中に礎のようにあるからなんじゃないかなぁと

分析しています。



結婚し子供ができ、子供を産んだ後に目にした養老孟司さんの言葉。



子供はもっと自然と触れるべき

自然は無意味なことだらけ。コントロール不可能。

なんでここに虫がいるのか

なんで雪がこんなに降るのか

太陽の木漏れ日ひとつとっても、毎回違う。

そんな無意味なこと、コントロール不可能なことに心を開く感性を養っておくこと。




田舎を疎ましく思う気持ちはあったけど、子供にも、子供のうちに触れておいて欲しい。
そう思いました。






ヨガに触れることも、私にとってはただのエクササイズではなく、
内側にある、自分の感覚を取り戻すツールの一つ。
自分が何に幸せを感じるのか。
何に違和感を感じるのか。



粟巣野に出かけて、
富山という場所は、それを伝えるのに、本当に良い場所だなぁと思いました。
それを一緒に伝えて行こう!と思える仲間にも出会えて、
今後ますます、自分の中を満たしてくぞーという気持ちになれました。



存続の危機…
どうにかならないかな。
どなたか買ってくださらないかしら。